レシピ


 昼下がり、カイの経営している海の家にカレンがやってきた。
「どうしたの」
 カイが訊ねる。
 それもそのはずで、カレンが手に持っているのは上等のワイン。
 まさかそれだけ置いて、はい終わりなんてことはない。
 カレンはにっこりと笑うと単刀直入に言った。
「料理、教えて」

「だいたい」
 と、カイは呟く。
「まだ海の家は営業時間中ですよ、お嬢さん」
「どうせ客なんて来ないじゃない」
 うるせーと言いながら、既に準備を始めているあたり、彼の性格がうかがえる。
 カレンはそれを指摘してけらけらと笑った。
「そうね。姉さんの言うことは聞くものよ」
「……姉?」
 予想外のその単語に思わず聞き返してしまう。
「だってポプリと結婚するんでしょ?」
 なぜ断定口調なのかはこの際置いておく。
 カイはポプリが好きで、カレンはリックが好きで、ポプリとリックは兄妹で。
 なるほど、うまくいけば義理の姉弟になるわけだ。
「あれ? なにその顔。彼女のこともしかして遊び?」
「……貴方は俺をなんだと思ってるんですか?」
「未来の弟」
「だったらもう少しやさしくしろよ」
 全ての用意が整うと、カイはカレンをカウンターの奥へ通した。
「で、何教えてほしいって?」
「たまご料理」
 たまごという材料は簡単に作れる料理が多いので、初心者には最適だろう。
 しかしそんな理由でたまご料理を選んだわけではないことをカイは知っている。
「じゃあとりあえずたまご焼き作ってみて」
 カレンはタマゴを一つ手に取ると、ちらりとカイを見た。
「手伝わないで。口だけ出してくれればいいから」
「はいはい。まずはフライパン軽く暖めて、油をひいて――」
 そこまではカイの指示通り。
 だいたいたまご焼きなんて簡単な料理、そう作り方がいくつもあるわけないのだ。
 しかしそこは料理オンチなカレン。
「……殻、混じってる」
 カレン殻を取ろうとしているあいだにフライパンは熱を吸収し、
「焦げてる!」
「油が足りないかな?」
「うわっなんでそんなに油いれるんだよ!」
 フライパンから溢れた油が重力に従い滴る。
 その下はもちろんガスバーナーで、
 カイはカレンをかばうように手を伸ばす。
 火が一瞬にして膨張し、皮膚の上を舐めた。
 目がくらむ。
「大丈夫!」
 カレンが叫ぶ。
 カイは蛇口をひねり、すぐに患部を冷やした。
 軽いヤケドだ。たいしたことはない。
「多分大丈夫」
 そういってすぐに適切な処置をする。
 そして呟いた。
「なんでいつも生きてるの?」
「失礼な」

 日が暮れるころにはなんとかまともなたまご焼きがつくれるようになった。
 だけどカイは知っている。明日になればすべてにリセットがかかりもとに戻ってしまう。
 ここまで努力してあの腕はある意味すごいよななんて思った。
「そういえば、いつ青い羽渡すの?」
 カレンが訊く。
 カイが既に青い羽を用意していることをカレンは知っている。
「あの兄がいるかぎり無理。カレンお前さっさと自分に目を向けさせろよ」
「カイとポプリのことが片付かないかぎり無理」
 言い方をわざとまねてカレンは言い返す。
 海の家を閉めて、カイは戸締りの準備を始めた。
 営業時間は終わっていた。
 カレンの言うとおりお客はこなかった。
 それに少しだけ落ち込みつつ最後の鍵を閉める。
「今日はありがと」
 その後ろからカレンの声が聞こえた。
「じゃあ帰ろうか?」
 そして歩き出すカレン。
 カイはその場を動かない。
「カレン」
 少し大きめの声で彼女を呼んだ。
 カレンは振り向く。
「好きだ」
 赤く染まった二人しかいない海岸。
 告白のシチュエーションとしては上等だろう。
 カレンは微笑みながらいう。
「私も」
 そしてカレンは俯いた。
 肩が震えている。
 カイがカレンに歩み寄り、手を伸ばした時、耐え切れなくなったようにふきだした。
「でも、違うんだよね」
「あ、やっぱり?」
「そう、一番じゃない。絶対あんたのほうが気利くし、いっしょに居て楽しいわよ。でも私はリックが好きなのよね。あんな女心が分かってなくて、シスコンぎみで、約束はしょっちゅう破るし、いっしょにいて胸が苦しくなる奴なのに」
 でも、と呟く。
「それはカイも同じでしょ?」
「だな、ポプリよりお前を好きになることはない」
「なんでだろうね」
「理屈じゃないことはたしかだな」
「恋なんてそんなものね」

 宿屋の前までたどり着く。
 カレンの雑貨屋はもう少し先だ。
 先に歩いていたカレンは振り向いた。
「で、ここまできて諦める気ないでしょ」
「当然」
 その言葉をきくと楽しそうにカレンは手をふった。
 それを見て、カイはなにかを決心したように言う。
「俺、今年の夏の終わりにポプリ連れて行く」
 それだけで全てが通じた。
 カレンは唇の端をつりあげて笑う。
「了解、荷物まとめておけばいいわけね?」
「ああ、頼む。分かってると思うけど――」
「誰にも言わないわよ。ポプリには?」
「俺から伝えるよ。でもポプリは嘘が下手だからな。ギリギリまでは言わない」
「そう、分かったわ」
 そして一人、カレンは自分の家へと向かう。
 影が長くなってきている。
 夏の終わりはもうすぐだ。


もどる