ミネラルタウン**

コルクボード


 牧場は忙しい。
 それがたとえ、二人の共同の牧場だとしてもだ。

 その赤い屋根の家に部屋は二つある。
 一つはキッチンと居間がつながったDKで、ベッドはそれぞれの部屋に一つずつ置いてある。
 クレアのベッドはもうひとつ部屋のほうだ。
 今日は少しだけ寝坊をした。
 まずは自分の部屋のドアをあける。
 彼は既に起きた後らしい。
 共同スペースの片隅に置かれたベッドはきれいにベッドメイクされている。
 彼の荷物はとなりのチェストにまとめられている。
 クレアはドアの向こうの自分の部屋を振り向いて、ため息をついた。
 ピートという男はどうやってこんなにも小さなチェストに私物を詰め込んでいるんだろう。
 冷蔵庫をあけるとサンドイッチが作り置きしてあった。いたりつくせりだ。
 それを食べると壁にかかっているコルクボードを見上げる。
 同じ家に住んでいるくせに、ピートと直接話す機会はおどろくほど少ない。
 だから大切な連絡事項はボードにかいておくのだ。
 今日は一枚だけ、走り書きのメモがピンで留められていた。 
『わるい。裏山にいってくる』
 クレアはため息をついた。
 今日はカブの収穫日だった。
 今年からはとはりきって畑を広げたので、時間がかかることは目にみえていた。
「コロボックルたちも春は手伝ってくれないしなー」
 とぼやきつつも全ての作業をすませてからクレアは牧場を出た。

 マザーヒルズには女神様がいるといわれている泉がある。
 その方向をちらりとみるとピートがいた。
 さとられないようそのまま坂道を駆け足で登る。
 湖まで一気に駆け上がると、そこでようやく足を止めた。
 止めた瞬間息切れを起こす。
 それでもすぐに川の始まる場所に沿って草むらをかきわけて、ようやく目的の場所にたどり着いた。
 音を立てないように背の高い草をよけると、そこはきりたった崖だった。
 川は滝つぼへと落ちていき、その隣にはピートが座っている。
 どうやら間に合ったみたいだ。
 とはいえクレアはなにもするでもなく彼の姿をみつめる。
 彼の傍らには近くにきれいな女の人がいる。
 水色のベールを被り、髪を花で飾られているのは女神様だ。
 彼と彼女は楽しそうに談笑をしている。
 女神様の手にはつまれたばかりであろうムーンドロップの花がある。
 みていられなくて、クレアはそっぽをむいてその場に座り込んだ。
「……なにやってるんだろ私」
 思わず呟いてしまう。
 まるでストーカーだ。
 でもしかたないじゃないか。
 私はピートのことが好きなのだから。

 どれぐらいの時間がたったのだろう。
 きっとそんなに長くはなかったに違いない。
 クレアはいつものとおりにぼーっと彼らの姿をみていた。
「あしたもくるから」
 そう、ピートの声がクレアの耳に届く。
 そして軽く落ち込んだ。
 女神様の誕生日は春の女神祭と同じ日だ。当たり前だけど。
 明日は女神祭だった。
 ドレス姿は一番ピートに見てもらいたかったのに。
 ピートは女神さまに手をふると、牧場へと戻っていった。
 女神さまも彼の姿がみえなくなるまでそこにいて、静かに消えていった。
 クレアは軽く息をつく。
 そして立ち上がろうとして、
「あれ?」
 前のめりになった。
 ずっとしゃがみこんでいた足がじんじんとする。
 目の前は崖で、恐怖が頭の中を支配する。
 落ちる。
 そう思って目を閉じた。
「?」
 腕に強い力を感じて、クレアはおそるおそる目を開けた。
 つかまれた手をみると、それは緑色をしていて。
「きゃあ!」
 思わず振りほどこうとしてしまう。
 だけどそれは思いのほか強くて、振りほどけない。
「……あぶない」
 そしてようやく彼の姿を確認した。
「なんだ。かっぱか」
 クレアはその場に、今度は足を組んで座り込んだ。
「……おいらをみて、なんだという人間もめずらしいな」
 そしてクレアはふと気がつく。
 助けてくれたんだ。
 お礼をいう機会はそびれて、クレアは別の言葉を捜す。
「ひさしぶりだね。元気にしてた?」
 クレアが彼と会ったことあるのは一回きり、それも一目というわけではないが、三目だけだ。
 思い出したように、リュックのなかからきゅうりを取り出す。
 それをかっぱに差し出した。
 お礼のつもりだ。
 かっぱはおそるおそる受け取るとそれをぱりぱりと食べだした。
「私のほうは、前にもらった木の実食べてから、いい感じだよ」
「……そうか」
 一本目を食べ終わる。
 クレアは二本目を差し出して、かっぱはそれを受け取る。
 クレアももう一本とりだして、それを自分でかじった。
 かっぱがちらりとこちらをみるが、クレアは気にしない。
 きゅうりをかじる音だけがあたりに響く。
 二本目も食べ終わると、かっぱはぽつりと呟いた。
「……女神さまは、気がついてる」
「知ってるよ」
 それでもクレアは彼女のことを嫌いにはなれない。
 女神である彼女はわざとではないし、それに優越感を持っているわけでもないから。
「ピートは女神さまのこと、好きだよ」
 クレアがつぶやくように言う。
「女神さまも、ピートのこと好き」
 かっぱは黙って聞いている。
「それは両思いで、いいコトだって分かってるんだけど」
 そこでクレアは息をつく。
「私はピートを諦めきれない」
 いつのまにかクレアは泣き出していた。
「どうしたら、いいんだろう。私」

 くしゃみをして目が覚めた。
 いつのまにか眠っていたのだろう。
 あたりはもう赤く染まっていて、夕方の時刻だ。
「うそ!」
 そう叫んでクレアは立ち上がる。
 瞬間、体にかかっていた葉っぱがぱらぱらと落ちる。
 真新しい青い葉っぱが、まるで布団のように大量に。
 クレアは怪訝に思ったがすぐに彼だと思い当たった。
「……え?」
 ピートはみてくれもかっこいい。
 容姿を特にきにしないクレアからみてもそうだ。
 だけどクレアはそれだけでピートを好きになったわけじゃなく、中身のほうを気に入ったからこそ好きになったのだ。
 だから。
 顔が赤くなる。
 触ると熱を持っているのが分かった。
 バカか私は。
 クレアは思う。
 いくらなんでも。

 この世のどこにカッパを好きになるやつがいる。


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