うそつきの証明


 クレアが乗っていた客船が嵐に遭い、この町に流れ着いたのは春の月のことだ。
 家庭菜園の経験すらないクレアに、ここの町長はいきなり牧場の再建をすすめた。
 しかも牧場というのは名ばかりで、そこはただの荒地とも呼ぶべき場所だったのだ。
 常識的に考えてそんなことができるはずもなかったが――少なくともその時はそう思ってた。
 どうせ帰る場所なんかないのだと思い出すと、クレアはいつのまにか返事をしていた。
 それも半年以上前のことだ。
 無謀にも思えた牧場生活は、意外にも形になってきている。
 それでもクレアはひとつだけ、気がかりなことがあった。
 誰にも言えないまま、言えるはずもないまま、時間は過ぎる。
 季節は初秋にさしかかっていた。

 暗闇の中、自分の名前を呼ぶ声がした。
 お祈りの途中だったが、特に信仰が熱心なわけではない。
 迷いもせずにその姿勢を崩し、目を開ける。
 目を開けると、鳶色の髪をした青年の姿がクレアの目に映った。
 クリフだ。
 この町の生まれではないが、クレアが牧場へとやってくる前からここに滞在していて、宿屋と教会を行き来する生活を続けている。
 それ以外のことをクレアはくわしく知らない。
 彼は人見知りが激しく、町の人たちともほとんどかかわりを持たないからだ。
 だから声の主が彼だと知ると、クレアは少しだけ驚いた。
 それを顔には出さず、クレアは笑顔で返す。
「どうしたの? クリフ君」
 話しかけてきたのは彼のほうだというのに、クリフは困ったような声をだす。
「えーと……いや、その……」
 クレアは気にしたふうもなく、彼の言葉を待つ。
 本当は、早くしてほしいなとも思いつつ。
「……いつも、ここに居るから」
 だから、なに?
 私がここへ来てはいけないとでもいうの?
 声にこそ出さずにいたが、そんな言葉がついてでてしまう。
 そこまで思ったところでクレアは苦笑した。
 たしかに似合いはしないだろう。
 牧場の泥だらけの作業着のまま、毎日教会へきているなんて。
 本当のことを言えば、クレアは教会自体に用があるわけではない。
 その裏の小屋に住んでいる、コロボックルに用があってきている。
 彼らにでも手伝ってもらわなければ、あの莫大な土地を女一人で管理できるわけがないのだ。
 人間ではない存在だが、初めて会った時は慣れない牧場の経営で、そんなことを気にしていられるほどの余裕はなかった。
 そのうち牧場の仕事を手伝ってもらうようになり、いつしか彼らの存在はなんでもないことになっていた。
 しかしコロボックルの存在は、クレア以外の人間には分からないらしい。
 変な人だと思われるのはごめんだ。
 そのカモフラージュにここへ来ているのだ。
 お祈りはそのついで、と言ってしまいたいところだが、それはただ免罪符を求めているだけなのだとクレアは理解していた。
 みんなが思っているクレアは偽者だ。
 本当のクレアは、町の中でもっとも良い立場を自ら作り、保ち、それを利用している人間だ。
 それは今まで生きてきた場所でこそ通用した手法だったけれど、ここでは罪悪感をともなった。
 いつもの笑顔に紛れ込ませた苦笑に気がつかず、なぜ笑ったのかも分からないであろうクリフは不思議そうな顔をしている。
 漠然とした感覚で、いいな、とだけクレアは思う。
 きっとこの青年は何も知らない。
 たとえば目の前にいる人物が、どんなに汚い部分を持っているのか。
 それはこの町に住む人々、全員にいえることだった。
 ミネラルタウンとはそういう町なのだ。そういう人たちが住んでいる。
 クレアは再び微笑んだ。
 クリフもそれにつられたように笑う。
「……ああごめん。でもそれを言うなら、クリフ君だっていつも来ているんじゃないの?」
 彼の笑顔の質がわずかに変化した。
 ミネラルタウンの住民だったら気がつかないであろう、些細な変化。
「僕の場合は、それが仕事みたいなものだからね」
 クリフは冗談めかして言った。
 そう言った後にはいつもの彼に戻っていた。
「ところで今、時間ある?」
 さきほどの笑顔に気を取られていた為か反応が遅れる。
「少し、話したいことがあるんだ」

 ここでは話しにくいから、とクレアは手を引かれ、教会裏の林へと進んでいった。
 クリフは歩みを止めず、奥へと進んでいく。華奢な体つきなのに、引いていかれる力は思いのほか強かった。
「なに? 話したいことって」
 早めにこの用事を終わらしてしまいたくて、そんなことを口走ってしまう。
 少しわざとらしかったかもしれない。クレアは後悔する。
 彼はぴたりと歩みを止めた。手はまだ離してくれない。
「あ、ごめんね。やっぱり忙しかった?」
 はい、忙しいです。
 そう思うのなら今すぐにでも話してくれればすむことでしょう。
 クレアはその言葉を胸にしまうことにした。
 しかしクリフは心の中を読んだように言う。
「大丈夫。時間は取らせないから」
 そして周りに誰もいないことを確かめてから、次の言葉を続けた。
「いつまでそれ、続けているつもり?」
「え?」
 質問の意味がよく分からなかった、それ以前の問題。
 クレアはクリフの目に驚いていた。
 まるで嘲笑うような、獲物を追い詰めた狩人のような目。
「それってどういう……」
「言い方を変えようか? いつまで俺に、その作られた笑顔で話しかけるつもり?」
 心臓が大きく鳴った。
「クリフ君、なんのこと?」
 そう言ったがタイミングが少し遅れていた。そしてそれは結果的にその問いを指定することになる。
 クリフは笑顔のまま続ける。
「クレアさんの演技はなかなかのものだったけど、俺には騙しきれてないよ」
 昨日まで知っていたクリフとは明らかに違う。
 クレアは彼の手を振りほどいた。
「あんた何様のつもり?」
 思った言葉をそのまま叫んでしまう。
 こうなってしまえばもう取り繕うことなどできない。
「別に、クレアさんと同じなだけだよ」
「ふざけないでよ。私のことなんにも知らないくせに」
 押し殺していた心の言葉がすんなりと出てくる。
「まあ、その様子じゃ俺のほうは感づかれてなかったみたいだけど……」
「そういうことじゃない」
 普段の人懐こい犬のような彼からは想像もつかない、仮面の下。
 同じなものか。
 それを自ら告発して、明らかにこの状況を楽しんでいる彼と、必死になって隠している自分とでは。
「……いつから」
 クレアは訊ねる。
「気がついていたの?」
「結構前から、そうではないかなとは思ってたよ。確信したのは今だけど」
 さきほどのやりとりに対して後悔がおそってくるが、もう遅い。
 クレアは腹をくくるとため息をついた。
「で、何?」
「何って?」
「口止め料」
「……さすが同類は話が早くて助かるね」
 クリフは感心したように言う。
 彼の本性もこちらの取引材料になるか考えたけど、それは頭の中ですぐに否定された。
 クリフの場合、それがバレても場所を移れば良いだけなのだ。
 牧場を経営しているクレアと比べたら、捨てなくてはならないものは遥かに少ない。
 第一、彼にその覚悟がなければこの話をしてくるわけがない。
 クレアは思いつく限りの要求を言ってやった。
 土地のことだとか、資産だとか。
 自分が持っている物なんて、どれもささやかな物だ。
 それくらいのものなら割りにあわない気もする。
 手札は見破られたのに、相手の持ち札を知らないとう焦りが、答えを見当違いのほうへ飛びつかせる。
 案の定、クリフはどれも首を横に振った。
 そして言う。

「俺の彼女になってください」


もどる