きお様へ贈るクリフxクレア小説。


 神の下、君の元。


「じゃあ教会の留守、お願いします」
 そう言ったのはこの教会の神父、カーターだった。
 クレアとは仲が良く、外に用事が出来たときはよく留守を頼んでいる。
 用事といっても、ただの買出しだ。急ぐものではない。
 クレアのいってらっしゃいになるはずだった言葉は、短い雑談に変わっていく。
 クリフは一番前――つまり正面の扉から一番離れた席からそれを聞いていた。
 ようやく扉が閉まる音がして、教会の中はクリフとクレアの二人っきりになる。
 クレアは扉を背にして教会の中を歩き出した。
 足音がやけに響くせいで、クリフには彼女の位置が手に取るように分かる。
 後三歩くらいの距離を残して、クレアは声をかけた。
「クリフ、ひさしぶり」
「ひさしぶりって……昨日会ったでしょ?」
 クレアはそれを聞くと、さもおかしそうに笑いだした。
「あんなクリフは会ったうちに入らないよ。やっぱりこっちのクリフじゃなきゃね」

 まあ、簡単に説明すると。
 クリフには裏表がある。
 裏表があること自体はそんなに驚くことではないとクリフは思っている。
 表だけで生きていこうと思ったら、よほどの人格者でなければ上手くいかないことは目に見えているし、クリフ自身、そこまで自分を過大評価していない。
 問題があるとしたら、ここミネラルタウンがそういったものとは無縁であることぐらいだ。
 そう。驚くべきことに町民のほとんどが人格者なのである。
 こんな俺でも、この町で暮らしているとこのままの自分でいいのか悩んでしまう。
 それでも居心地の良いこの場所を失う可能性を試みたくなくて、結局は本当の自分をさらけ出せずに終わってしまうのだ。そして唯一、クレアだけがこのことを知っている。
「そういえばさ。なんで私にキスしたの?」
「いつ?」
「人のファーストキス奪っておいて忘れるなんて。……初めてここで会った時よ」
「ああ、あの時」
「ねえ、どうして?」
 どうして、と言われても。
 自分だってなぜあんなことをしたのか分からなかったのだからしかたない。
「……気に入ったから」
 ぽつりと。まるで独り言のような話し方だった。
「ツバつけて置こうと思ってね」
 今思いついただけの戯言だったが、それが一番しっくりくるような気がした。
 クレアはしばらく次の言葉を待っていたが、すぐクリフがもう何も言う気がないらしいことに気がつく。
「それだけ?」
「それだけだって。どんなふうに思っていたのさ」
「いや、クリフのことだから老若男女問わず翻弄しているのかと」
「……老と男は遠慮したいな」
 実はあんな真似をしたのはクレアが初めてなのだけど。
 そう言ってやるのは悔しくて、とりあえず今は彼女に当てはまらないものだけを否定しておく。
 そんなクリフの心中には気がつかないクレアは無邪気に笑った。
「こちらからもひとつ」
 クリフは自分の人差し指を立て、彼女の口に当てた。
「どうして俺のことみんなに言ってないの?」
 クレアはかかとに重心をかけ、クリフの指から逃れる。
 そして不安定なその格好のまま、
「んー。どうしてだろう?」
 本当に自分でもどうしてか分かってないような言い方だった。
 クレアはしばらく重心をつま先に持ってきたり、かかとに戻したりして体全体を弄ぶ。
 それは何か考え事をする時のクレアのくせだ。
 前に後ろに、彼女の長い金髪が揺れているのが綺麗だった。
 ぴたり。ようやく体が安定した。
 当てはまる言葉を見つけたらしい。
「人魚姫と同じ」
「人魚……姫?」
「そう、おとぎ話の。知らない?」
「いや知っているけど……」
 クレアの話は突飛な例えが多い。
 一を聞いてすぐに十を知ることのできるクリフだが、その言葉を理解するのには少し――いやかなり情報が足りてない。
「人魚姫はね、自ら声を引き換えにしても、王子様の傍にいたいって思ったんだよ」
 クレアがそう補足する。
 教えてあげますな態度のクレアにクリフは思わずにやりと笑った。
「通りで好きって言ってくれないわけか」
「言わないんじゃなくて言えないんだよ」
 もうクレアにはこれくらいの皮肉はもう通じないようだ。
 クリフは次の言葉を舌に乗せようとし、
「でもそれは物語の話」
 その言葉に遮られた。
 言おうとしていた言葉が使えなくなり、かといってそれに対する新しい言葉も上手く出て来ずに、口を開けっぱなしのおかしな格好のまま固まってしまう。
 クレアはそんなクリフを見て、くすりと笑い、彼の耳元に顔を寄せた。
 そして思いを声に変える。

 離れてからしばらくたっても、まだ熱い吐息の感触がクリフの耳に残っていた。


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