聖夜様へ贈るドクターvsカイ小説。


 1700


 何かが物音を立てた。
 二階で本を読んでいたドクターは不審に思って顔をあげた。
 そしてしばらくその体勢のままで耳を澄ます。
 十秒待ってから、ドクターは視線をまた本に戻した。しかしすぐに顔をあげて時計を見る。
 時計の針は十一時を指していた。
 ドクターは息をつくと、読みかけの本に栞を挟んだ。
 そしてそれを本棚に戻す。
 もう一度物音がした。
 一階からだ。
 一階へのドアを開けると生ぬるい風がドクターの傍を通り抜けた。
 そして電気もつけずにドクターは一階へと降りていった。

 窓が開いていた。
 カーテンが生ぬるい風を受けて揺れている。
 閉めたはずだがなと思いながらドクターは鍵をかけようと手を伸ばす。
 そして後ろに人の気配を感じて振り向いた。
 診察室のベッドに寄りかかるようにして居たのはカイだ。
 ドクターはカイを一瞥し、冷たく言った。
「……何をしに来たんだ? 診察時間はとっくに過ぎているぞ」
「何って薬取りに来ただけだよ」
 そう陽気に言うカイはとてもじゃないが病気には見えない。ドクターはもう一度同じセリフを繰り返した。
「何をしに来たんだ?」
「俺じゃねえよ。ポプリの母さんの薬だ」
 ようやく納得がいった。ポプリの母親、リリアは体が弱くこの病院の常連でもある。
 大方ポプリに頼まれて来たのだろう。
 そう思うと戸棚から一つの薬を取り出しに向かった。
「なあ、エリィと上手くいってるのか?」
 後ろから楽しそうな声がした。
 ドクターはなにも聞こえないフリをして薬を物色する。
 そして目的の物を見つけると、なにも言わずカイに渡した。
 ドアの鍵を開け、無言で帰ってくれという意思を伝える。
 カイはその場から微塵も動かない。
「冷てーな。男に優しくしてもらっても嬉しくないけどよ」
 そう軽口を言いながらカイはドクターの目を捉えた。
 瞬きさえもせずに目を逸らそうとしない。
 その目の意味は、

 ――さっきの質問に答えろ。

 ドクターは瞬きの瞬間を狙ってなるべく自然を装って目を逸らした。
 そして息をつき、一言一言を言い聞かせるようにはっきり言った。
「……彼女はただの助手だ」
 何度も過去に答え、自分の中では使い古された言葉だ。
「お前にとってただの助手でもエリィにとってお前はただの医者じゃねえんだよ」
 その言葉の意味を理解するのにそう時間はかからなかった。
 エリィの好意には既に気がついていた。
 しかし、
「関係ないだろう。それでもエリィは僕に取ってただの助手だ」
 そう関係ないのだ。
 自分は人の命を助けるため、この仕事を選んだ。
 別にお金が儲かるからとか、女の子に良い所を見せたいと思って選んだわけじゃない。
「そうやって人を傷つけることを平気でするのなら、俺はお前を医者と認めない」
 カイが言う。
「……誰を好きになるかは自由だと思うけどね。誰かに好きになられたらその誰かを好きになる義務もない」
「そういうことを聞いてるんじゃねえよ。エリィのこと、どう思ってる? 嫌いじゃないんだろ。むしろ逆だ」
「よくもそこまで自信満々に話せるものなんだな。全てただの推測だろ」
「ああ、そうだな。でも分かる。お前はエリィが好きだ。でもその気持ちに気がつかないフリしている。だから卑怯だって言ってるんだ」
 そこでドクターは息をついた。
 ここまで罵られたのは久しぶりだ。
「……医者っていうのはさ。家族や恋人とかの手術には立ち会えないんだ。なぜだか分かるか?」
 案の定カイは怪訝そうな顔をしている。
「皆怖いんだよ。人を好きになるってことは失敗への不安が大きなるってことだ。だから医者は一人の人間を特別に好きになる必要なんてないんだ。特別に想う必要なんてないんだよ。それがエリィでも他の誰かでも同じだ」
 そこまで言うともう一度息をついた。
 カイの言うとおりだなと思う。気がつかないフリしているだけ。でも絶対に気がついてはいけないのだ。
 後ろでガタンと音がした。ドアを開けるとエリィが居た。
「……エリィ」
 ドクターが呟くように言った。
 その言葉を合図にエリィは、すぐに走り出してしまった。
「エリィ!」
 ドクターが再び彼女の名前を呼ぶ。
 そして追いかけようとして、
「待てよ」
 カイに呼び止められた。
「お前、馬鹿だろ。お前は医者である前に人間だろ。人を好きになってなにがおかしい。だいたい失敗の不安ってなんだ。どんな病気も怪我も治してこそ医者だろ」
 そしてドクターの目を真っ直ぐ見据えながら言う。
「最後の質問だ。エリィのこと、どう思ってる? さっきと同じ答えだったら、俺が行く。お前はここで待ってろ」
 そのセリフが言い終わるか終わらないかのうちにドクターは病院の外へと走り出した。

 病院の中、残されたカイはくすくすと笑っていた。
「……エリィも結構単純だな。やるなって言われたことやるなんて」
 そしてポケットに手を突っ込み、一枚の絆創膏を取り出す。
 カイはそれをしばらく見つめた後、さっきドクターに貰ったばかりの薬と一緒にゴミ箱の中に放り込んだ。
「幸せになれよ、エリィ」

 ――エリィ、なに浮かない顔してるんだ?
 ――は? ドクターへの告白? ……そんなもんさっさとやっちまえよ
 ――もしダメだったら怖い? しゃあねえな俺が聞いてやるよ。こういうのはな、ダメだったら冗談にしちまえばいいんだ。

 ――だから、今日の夜は病院に近づかないこと。いいな?


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