美奈様へ贈るクリフxクレア小説。


 バーベット・ゲーム


「罰ゲームは?」
 冷たい、感情のこもらない声。それを発したのは他でもないクレア自身だった。
 目の前に居る彼はそんなことはちっとも気に留めずに、イタズラが成功したときのような笑みを浮かべる。
「一つだけ相手の言うことを何でも聞くってのはどう?」
 よく使われるそれだが、実際は相手しだいのとても危険な罰ゲームだ。
 ちなみにこの男クリフの言うであろうなにかは絶対に安全圏には入っていない。
 それでも別にいい。勝てばいいのだからと結論付けると次の一字一句をはっきりと口に出した。
「いいわよ。やってやろうじゃない」
 なんでこんなことになったんだろう、と後悔するのはもう少し後の話である。

「で? そのゲームのルールって?」
 その日たまたま雑貨屋で店番をしていたカレン。買い物に来たクレアの愚痴を聞いていた彼女はそう尋ねた。
 クレアはクリフを真似た声でいう。
「"先にヨリ戻そうとしたほうが負け"」
 カレンは思わず吹き出した。慌てて取り繕うとするがもう遅い。そうやって笑いを堪えているカレンを見てクレアが怒った。
「なに笑っているのよ!」
「いや、平和だなって」
 声がまだ震えている。カレンは笑顔のまま一度深く息を吸い込んで吐き出した。
「だってそうなった原因覚えてないんでしょ?」
 そのとおりだ。そうやって彼と喧嘩するのは日常的なものだったし、いつもきっかけは些細なことでいちいち覚えてなんかなかった。
 そんなゲームを持ち出したのは初めてだったけど。
 クレアも思いっきり深く息をついた。ただしそれはカレンのとは違ってもっと憂鬱でため息のようなものだったが。
 だいたい、とクレアは思う。
 クリフと付き合い始めたころは彼の性格はあんなものじゃなかった。
 今とは比べほどにならないくらい可愛くて弟みたいな。
 それなのに――
「これじゃ詐欺よ。結婚詐欺」
「青い羽、貰ったの?」
「幸いにもまだです」
「なら結婚詐欺じゃないわよ。そうね――恋人詐欺ってところ?」
 カレンは自分の言ったセリフでまた笑いだした。どうやら笑いのツボにはまりっぱなしらしい。
 今なら箸が転がるのを見ても笑うのだろう。
 クレアはそんなカレンを気にせずに過去のクリフがどんなに良かったかを語りだす。
「あーあ。"クレアさんもひとりじゃさみしくない?"とか純粋無垢な目で言ってくれたクリフが好きだったのに」
「いいんじゃない? 前のクリフって――皆の前では今もだけど、そのクリフよりクレアと一緒のクリフのほうがずっといきいきしてるよ」
「そりゃあ毎日私で遊んでいたら気分も晴れるわよ」
 そし言ってクレアは買い物カゴをレジの上に置いた。
 カレンは品物を一点ずつ会計をしていく。
「でもさ」
 最後の品を袋に入れてからカレンは言った。
「なんだかんだいってもクレアはクリフのことが好きなのよ」
 それを聞いたクレアは怪訝そうな顔をする。
「なにそれ? どういう意味?」
「そのまんま。だってそれでもあげるつもりなんでしょ?」
 まだ訳を分かってないらしいクレアにむかってカレンはささやくようにして言った。
「チョコ」
 慌てて数秒前に手渡されたビニール袋の中を見てみると、たしかにチョコレートがそこにあった。
 ずっと牧場にいたため時間の感覚がなくなっているが、そういえば明日は冬の感謝祭だということをクレアは思い出す。
 思わず手に取ってしまった可愛らしい包みの中身がたまたまチョコレートだったらしい。
 クレアは今でこそ自給自足の生活を送っている。だが都会にいたときはよくこうやって無意識にお菓子を包装買いしまうことがあった。
 今回もそれと同じことが起こったのだろう。
 けして無意識に誰かにあげようとしたわけじゃない。
 既にレジを通ったものを返す訳にもいかず、クレアはそれを力説した。
 しかしカレンは、
「はいはい、まいどあり」
 軽く流し相手にしない。
「あー! 絶対信じてないでしょ? 本当なんだから!」
「たとえそれが本当で、都会に居たときは自分で食べちゃっていたとしても、クレアは明日クリフにあげることになるわよ。彼が葱持ったカモを見逃すわけないじゃない」
 ……そうかもしれない。
 そうであれば鍋にされる前に自分で葱を食べてしまえばいい。
 でもどうせならこの前貰ったレシピを使ってチョコクッキーでも作ろう。
 そう思うとクレアはさっそくそれに取り掛かることにした。
「今日は愚痴聞いてくれてありがと、またね」
 そう言ってからドアの方へ走っていき、
「うわ!」
「痛っ!」
 雑貨屋の入り口で思いっきり誰かにぶつかった。
 袋が手から離れ、中身が床に散らばる。
「あ、すみません!」
 そう言ってからクレアは散らばった袋の中身を慌てて掻き集める。
 買ったはずの品物が一つ足りない。
 ……と、思ったらさっきぶつかった人物がそれを拾ってくれていた。
 お礼を言おうとし、クレアはようやくその"誰か"に気がつき、
「クリフ!」
 ああ神様なぜ私たちは再び出会ってしまったのでしょう。
 気分とシュチュエーションが最悪なこのタイミングで。
 そんな馬鹿なことを考えつつクレアはクリフに訊ねた。
「なんでこんなところにいるのよ?」
「買い物だよ。この町唯一のお店で会うだけでそんな驚かなくても」
 そしてクリフは取り落としてしまった最後の品物をクレアに手渡した。
 その最後の品物はよりによってさっきのチョコレート。
 ――クリフの目が笑っていた。
「――ちがうわよ」
 思わず言い訳みたいな言葉が出てくる。
 落ち着いている時ならもっとましな台詞がでてくるのかもしれないがクレアは予想外のことにめっぽう弱い。
「私甘いもの好きだし、この町ってこんな日ぐらいしかお菓子売ってないじゃない。だから別に誰かにあげようってわけじゃないのよ! 例えばアンタにも――」
「僕、何も言ってないけど?」
 一人称が僕に変わっているのはここが公共の場だからであろう。
 そんなことよりいつものくせで無言の挑発に反抗しようと思った自分を馬鹿だと思った。墓穴掘ってどうする。
「私も勝手に喋っただけよ! アンタと会話しようとなんて思ってないわ!」
 捨て台詞になってない捨て台詞を吐くとクレアは牧場へと駆け出していった。
 後ろでカレンの笑う声が聞こえた。
 ……そろそろ友達止めようかとほんの少し気が迷った。

 牧場に帰ったクレアはさっそくチョコクッキーの製作に取り掛かっていた。
 もともと料理はそんなに上手なほうじゃない。
 ましてやほとんど作ったことのないお菓子となると料理とはまた勝手が違ってクレアは悪戦苦闘した。
 クッキーを作り終えたのはもう夜中に近くなったころだったが、思ったより見かけも味もうまくできたように思う。
 ちょっとした好奇心でクレアはそれを透明な袋にラッピングしてみた。
 まるでお店で売っているようなかんじになったそれにクレアは自画自賛する。
 それを両手で包み込むようにして持ちながらクレアは明日のことを考えた。
 ――あげなかったら、やっぱり傷つくかな。
 もちろんそれはクリフにだ。
 しかしさっきのアレさえなければまだしも今はプレゼントなんてできる状態じゃない。少なくともプライドが許さない。
「……だいたいなんて言えばいいのよ。ごめんね、とか? 許して、とか?」
 思わず思ったことがそのまま口へと出た。
「もしくは無言で涙目で訴えたり……どれも私の柄じゃないっての。万が一謝りたいと思っても言葉が見つからないわよ、もう」
「それ本当?」
「独り言に嘘つくやつがあるか! ……ってクリフ?」
 慌てて周りを見渡す。もちろん部屋に誰かがいるはずもない。
 しかしさっきの声は幻聴なんてものじゃなかった。
 それにクリフがそこにいるという事実も認めたくないが、クリフの幻聴が聞こえてたとは思いたくない。
 窓を開け、身を乗り出して外を見渡し、
「こんばんは」
 下からの声にクレアは小さな悲鳴をあげた。見るとすぐ下にクリフが座り込んでいる。
「クリフ! なんでこんなところに?」
「別に。狭いこの町で出会ったからってそんなに驚かなくても」
「ここは私の敷地内よ?」
「もともと君の土地じゃないだろ?」
 それを言われると閉口するしかない。
「で、さっきのそれ、本当?」
「……さっきのって?」
 何を指して言ってるのが分からなくもないが、クレアはわざと聞き返した。
「謝りたいって話」
「もしもの話よ!」
「でも少しでもヨリ戻そうと思った行動をしたクレアの負けだよ」
「それならこんな時間に夜這いなんてかけてきてるクリフの負けでしょ!」
「だからさっきも言ったように土地の所有権はこの町にあるんだから、広場に出入りしてるのと同じだよ。名義上は」
「名義上の話じゃなくて事実に基づいて話しなさいよ!」
 そうこう言い争いをしているうちにクレアは一つの不思議な感覚に気がついた。
 初めはそれがなにか分かっていなかったが、しばらくしているうちにようやく理解する。
 もうクリフのことを怒っても嫌ってもいないのだということ。
 むしろこうやって会話していることに安堵を感じていること。
 そもそも、喧嘩中ではなく毎日喧嘩しているということは毎日仲直りをしているということであり、むしろ喧嘩は日常の挨拶みたいなもので。
 そこまで思考が辿りつくとクレアは思った。
 こりゃ私の負けだわ、と。
 初めからそれを受け入れてたクリフとそうでない私とでは初めから勝敗なんて決まっていたのだ。
「あーもう分かったわよ! 私の負け! これで満足?」
 残る恐ろしいことは罰ゲームで。
「で、私になにをしろって?」
 それだけでクリフは罰ゲームのことだと分かったらしい。
「時計」
 言われたとおり時計を見る。十二時少し過ぎだった。
「用意しているんでしょ? それ頂戴」
 こんな傍からみたら噛み合ってない会話の仕方ができるのはこのミネラルタウンじゃ私達ぐらいだろう。
 十二時過ぎているということは既に明日であり、昨日の明日である今日は冬の感謝祭であり。
 彼のいうなにかはもちろんクレアの手に持っているそれである。
 当然用意しているような口の聞き方に怒りはまたぶり返し、クレアは何も言わずにそれを外に放り投げ、窓をぴしゃりと閉めた。
 続いて明かりが消える。
 明かりの消えた家を背にクリフはしばらくそのままでいたが、しばらくして立ち上がりクレアの投げたそれを拾いにいった。
 それについた雪を払い、宿屋に戻ろうと牧場に背を向ける。
 ぱっと家に再び明かりがついた。
 ドアの開く音。
 彼が顔だけで振り向くとクレアがそこに居た。そして言う。
「お茶くらい出すわよ。そんな格好でまた広場で遭難されちゃこっちが困るもの」
 クリフはそのままの格好で唇の端だけを動かして笑い、
「じゃあ遠慮なく」
 体の向きを逆に変えた。


おまけ

「言っておくけど、それお店で買った奴だからね」
「ずいぶんと粗末なものを出すんだねそのお店は。ほら、ここ焦げてる」
「味は確かなんだからいいじゃない」
「へえ。未開封なのに味は知ってるんだ。それともこれはクレアの食べかけ?」
「二つ買ったのよ」
「お店で見たときは一つ分のチョコレートしか買ってなかったと思ったんだけど」
「私が作ったんだって知ってるんなら聞くな!」
「いや全然分からなかったよ。へえ、クレアの手作りクッキーか。明日も生きていられるように祈ろう」
「そんなにいらないんだったら返しなさいよ!」
「これは罰ゲームだよ? 俺がクレアの言うこと聞くと思う?」
「ああもう腹が立つ!」


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